成田山に行ってはいけない人の理由・特徴|デートすると別れる?不思議体験談も紹介
成田山に行ってはいけないというジンクスは本当なのでしょうか?この記事では、成田山に行ってはいけない人の理由特徴や、実際に起きた不思議な体験談を紹介します。デートすると別れるという噂の詳細も解説しているので参考にしてください。
目次
成田山に行ってはいけない人の特徴は?
成田山新勝寺は、全ての人が行ってはいけないパワースポットではありません。多くの参拝者は何の問題もなく成田山を訪れ、神様を詣でてご利益を受け取れます。
しかし、行ってはいけない特徴を持つ人は確かに存在します。もちろん行ってはいけないと言っても、近付くだけで祟りが起きるようなことはありません。けれど、例えば気分が悪くなったり、落ち着かない気持ちになることはあり得るでしょう。
ここでは、成田山に行ってはいけない人の特徴について由来や理由を解説します。自分が当てはまるかチェックしましょう。
①同日に神田明神に参拝した人
同じ日に神田明神に参拝した人は、成田山へ行ってはいけないとされています。なぜなら、神田明神と成田山新勝寺には平安時代の頃からの因縁があるのです。
すべての始まりは、平将門が平安時代中期に自身を「新皇」と名乗ったことでした。これに対して当時の朝廷が「朝廷に逆らう逆賊だ」と怒り平将門を制圧しようとします。しかし、戦での制圧ができなかったため京都の僧である寛明に神霊の力で追討することを命じました。
そして、平将門が討伐隊と戦っている最中、寛明は21日間にも及ぶ護摩焚きを行いました。結果、平将門が有利だった戦況は一気に傾き、平将門は戦場で矢に射られあっけなくその生涯に幕を閉じます。
その後、任務を遂行した寛明は護摩焚きで安置した不動明王を引き上げようとします。しかし、不動明王をその場から動かせなかったため不動堂を建てて神様を祀ることにしました。これが、成田山新勝寺が生まれたきっかけです。
一方で、神田明神は戦死した平将門が怨霊化し江戸に祟りを起こした際、その魂を沈めるために作られた場所です。つまり、平将門を倒すために祀られた不動明王がいる成田山新勝寺と、平将門を祀って祟りを沈めるための神田明神は相反する存在となります。
そのため、1000年を越えた今でも「神田明神に詣でた同日に成田山に行ってはいけない」という伝承が受け継がれているのです。
②同日に将門塚に行った人
東京都千代田区にある将軍塚に行った人も、同じ日に成田山新勝寺へ行ってはいけないとされています。
将軍塚は、朝廷に逆らった逆賊として討伐された平将門の祟りを鎮めるために作られました。もともと討ち取られた平将門の首は京都で晒し首にされていたのですが、やがて自身の五体を見つけるために関東に向かって飛び立ちます。そしてその道中、力尽きて地上に落下します。その首が落ちたこそが将軍塚なのです。
そんな将軍塚は壊そうとすると祟りが起きるといわれ、現在では「史蹟将門塚保存会」によって厳重に管理されています。
このように、将軍塚は平将門の恨みや無念の気持ちが色濃く残る場所です。そのため、今でも「同日に成田山へ参拝すると災いが起こる」という言い伝えが語り継がれています。成田山新勝寺に行ってはいけないという伝承は、平将門由来の地と密接な関係をもっているのです。
ちなみに、平将門と彼の家来の子孫に当たる人々は、今でも成田山新勝寺に行かないそうですよ。